「山が好きだ」「森を守りたい」。ずっと抱いていた思いから林業の道へ
僕はあまり自然のない工業地帯で育ちました。だからこそ山や森、自然の良さを、山に住んでいる人より感じていたかもしれません。大学ではキノコの研究をしていました。キノコは森の中にしか生えていませんよね。いろんなキノコがいる山には、都会にはない五感で感じる何かがあると思っていました。ですが、こういう山もダムの工事等でなくなっていくと聞き、それを守りたいという思いをこのころから持っていました。
社会に出る時、まったく分野は違いますが、僕は「経営」について学びたくて、居酒屋を経営する企業に入りました。全国を転々としながら約9年間働きましたが、これは一生の仕事ではないのでは?と感じて、もういちど本当に自分がやりたいことを探してみようと思いました。
その時に思い出したのが、子どものころから学生時代までずっと持っていた「山が好きだ」、「森を守りたい」という気持ちです。調べるうちに、国が林業を支援していて、「緑の担い手」を探し、就業支援していることを知りました。僕は30歳くらいになっていましたが、林業とはどんな仕事かを勉強して、改めてこの仕事をやってみたいと思い、この世界に飛び込みました。
山と森がつくる、「こころが豊かになる」暮らし
山や森に関わるたくさんの人たちと知り合い、市役所での林業振興課の業務など、さまざまな林業に関する仕事をする中で、志賀郷杜栄社の前身である協栄建設の林さんと出会いました。林さんは道づくりの名人でした。山に道がないと、頂上まで行くのは大変です。道があるからこそ行けるし、しんどくない。道は最終的には林業する人のためだけのものではありません。林業をしていないときは他の人が散策するなど、たくさんの人たちに開かれているものです。林さんの作る道はそんなふうに、地域に大切にされる道になると実感したのです。自分もこういう道を作りたいと思いました。
林さんの師匠にあたる田邊由喜男さんがこんなことをおっしゃっています。「道を作ったり木を切ったりすることは『作業』。『森を育てる』ことこそが本当の林業だ」と。僕にとって、とても大切な言葉です。
現代の日本社会で、山が人の生活から離れていっているのはさみしいことです。昔の暮らしは山ともっと密接でした。山から流れる水や燃料となる薪とか、森から得られる恵みがあって僕らの暮らしがあるのではないでしょうか。不便でも、その不便と向き合うことが、自分や自然と向き合うこととつながるんじゃないかと思っています。「便利な暮らし」ではなく、「こころが豊かになる暮らし」を伝えていきたいです。また現在は、「林業は儲からない」と言われていますが、最終的には林業を通して、日本という国を豊かにしたいとも考えています。
「先人から受け継ぎ、次世代に残す」やりがいと、次の大きな目標
綾部の山は、地元の方たちと一緒に計画を立てて、共に山を作っていこうとしています。自分たちが主体的に「どんな山を作っていくか?」を考えていく、とてもクリエイティブな仕事です。この仕事の結果が出るまでには、40年、50年という時間がかかるので、いろんなイメージを持ちながら勉強して、子どもや孫の世代に「この森があって良かったな」と思ってもらえる森を作るのが自分の使命だと思っています。だからこそ、経営を学んだことや事務方の仕事の経験はとても重要です。
いちばんのやりがいは、次世代に残せる仕事だということと、今ある山が、先人から引き継いだものであると感じながら仕事をすること。また、林業を「木材生産」だけではないもっと多様な価値のある仕事にして、さまざまな分野の人たちに入ってきてもらいたいとも思っています。森の機能についてもっともっと普通の人に開かれて欲しい。北欧のように、資源が循環して分かち合える場所としての山を作っていきたい。これが僕の大きな目標です。